|
地球が泣いても夏至の日 富士山に行きました セレモニー 「せかいへいわといのりの日」 のため そして台風にあいました 彼は なにもかもを 吹き飛ばそうとした 洗い流そうとした ぼくの携帯電話と カメラも 水に洗われて 動かなくなった それらは そのときのぼくが持っていた ただふたつの 文明の道具 ぼくは 文明から離れて 大地に立ち 目を開いて 見た 雨降る草原に 大きな 人の輪ができていた アメリカインディアンの長老が 歌う中 集まったみんなは ひとり またひとりと 焚き火の中に 煙草の葉っぱを くべていった 燃え 吹き飛び 流れ… みんな 流れた 翌朝 なにもなくなり 空は晴れた 雲もない 風は高みまで吹きぬけた ぼくらが泣いて なにかがすっきりすることが あるように 地球も泣くのだろう 地球が泣くとき ぼくら人間 どう感じるのか? 立とう 地球が泣いても なんにもなくても 立って 歩いて 目を開き いきを する 「ぼくらのできることは なに?」 ぼくらは地球の 土のうえ なにも持たず 立って 呼吸する …という そんなことができる 生き物 なんだね
by kazeture
| 2004-07-01 01:29
| 旅
|
Comments(4)
Commented
by
yorunoniji at 2004-07-01 09:14
その日
地球が 泣いて泣いて 浄化されたのですね。 何もなくても生きていける・・・・確かにそうですね。
0
Commented
by
photomame at 2004-07-01 18:00
Commented
by
mah-min at 2004-07-03 10:04
Commented
by
chikyutotomoni at 2004-08-03 15:25
わたしにできることはなに?・・・といつも自問しています。まだそれはみつかっていません。いまできるのはただ祈るだけなのかもしれませんが・・・。
|