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大雨とリハビリ大雨がザーザー降っていますが、みなさんのお住まいの地域ではどんな具合ですか。 九州や山陽地方などで、床上浸水や土砂崩れなどが起こっているようですね…。 さて今日は大雨の降る中、バスに乗ってリハビリに行ってきました。 いつものN先生はお休みだったので、代わりにS先生が担当してくれました。 先生が代わると、別の視点が加わるので面白い、というか、発見があることがあります。 ぼくはリハビリ用のベッドに横たわり、S先生がかたわらに座ります。 S先生はぼくの左足(ケガをした方)を支えてひざを曲げる感じで揺らしながら、 「いま、この足はどこを軸に曲がってる感じがしますか?」 と、きいてきました。 このようなことをリハビリ時によくきかれますが、かなりわかりにくいのです。 ひざかどこを軸に曲がってるかとか… 今まで(ケガ以前)考えたことも感じたこともないようなことを質問されます。 で、わかりにくいながらもなんとか感じようとしてみるわけです。 「ん〜、そうですねぇ…。ひざの…表面っぽいような気が…」 「表面。そうですか。ではこちらの足ではどうですか?」 と言って、ケガをしていない右足に持ち代えてゆらゆら揺らします。 右足のほうがスムーズにゆらゆら揺れています。 「こっちは…んーと…ひざの…どちらかと言うと中心のような気がします」 「なるほど。ではもう一度左を揺らしますよ」 と言って左足をゆらゆら。 ゆらゆら。ゆらゆら。 ん? なんかさっきと違うかも? 「あ、岡さん、今はどんな感じですか?」 「そうですね…、さっきよりひざの中心で動いてる感じみたいです」 「はい。動きもさっきよりスムーズになってますよ」 「あれ? そうですね。不思議ですね」 「はい。これはつまり…右足の正常な動き、中心を軸とした動きを感じて、そのイメージで左足を動かしたから変わったんですよ」 「そうかぁ」 「左足は骨が折れて、折れたあと痛い中を歩いたりして、ヘンなクセがついちゃったりしてるわけですが、それを、イメージで変えることができるんですよ」 これは面白い瞬間だった。発見だった。 思いが現実を動かした…その瞬間を感じた。 ぼくの足の動きや、筋肉の働き方は、思いの持ちようで変わる。 思い、心、イメージのほうが先なんだ、ということをいくつも体験している。 曲がらない曲がらないと思ってたのが、「曲げると痛いかも」という恐れが曲げるのにブレーキをかけてただけで、ふとほかのことに気をとられたすきにうっかり曲がってた、などということがある。 思いが現実をつくる、ということが 心と体という場ではわかりやすく発現する。 そんなわけで、今日も面白かった。 ありがとうございまーす。 #
by kazeture
| 2010-07-14 23:20
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5ヶ月2月10日にスッ転んでひざのお皿を割ってから、5ヶ月が経った。 最近のリハビリはますますスパルタ的になり、痛くても曲げるし、筋肉トレーニングもへとへとになるまでやる。 このようにしてると、ほんとにかすかずつではあるけど、前に進んでるのがわかる。 ひざがほんのすこしずつ、強くなっていってるのを感じる。 すこしずつすぎて歯がゆくもなるけど、後退していないということは、いつかはよくなるということだ…。 ひざというのはいったんお皿を割ると、歩くことができるようになるのはわりと早いが、 かかとがお尻に付くくらいまで、つまり正座とか和式トイレスタイルができるようになるまでには、はるかな時間がかかるようだ。 どれくらいかかるかわからないけど… 「早く、早く」と思わなくてもいいと思った。 ケガをしたことで、たくさんの、出会うはずのない人に会った。 出会うはずのない手と出会った。 行くはずのない場所に行き、見るはずのない景色を見た。 これから、リハビリが長丁場になったとしたら、そのとき、またなにかと出会うだろう。 リハビリの世界で活躍する人たちは、あたたかいやさしい手を持っている。 出会うはずのなかった、あたたかい手。 今、つらく見えたりいやに思える道の先にも、きっとなにか、そのときになってみればおもしろく思えるようなものが待ってるはずだ。 ただ、今のぼくの脳という小さな限られた世界で、いやに思うだけで…。 たゆたってゆだねてぷかぷかと運ばれてゆけば、きっとなにかと出会うだろう。 7月は夏だし、夏旅男のぼくはこれまでいつもいつもどこかに行ってきた。旅してきた。山に登り、島に渡ってきた。 特に山。高い山のシーズンは盛夏だけ。 3000メートル級の山々の雲の上の世界… そんなとこでテント張ったりお米炊いたりレトルトあっためたり、 お茶いれたりごろごろしたり昼寝したり、 突風に吹かれたり流れる雲を見たり雲のすきまの星を目撃したり、 雲海を見下ろしたり花や鳥や人に挨拶したり、 歩いたりよろけたり雨粒を浴びたり霧の中に潜り込んだり虹の輪をくぐったり、 そういうのが大好きなのだ。 今年はそれができなくて、困っている。 でも、このような、 「できない状態になって、やりたいと渇望する」 という経験も貴重である。 それでぼくは、「それをほんとうにやりたがってる」と知った。 ひまつぶしに行ってるんじゃなかったんだ。 それを知ったぼくは、また行けるような状態になったら、すみやかに山にでもパタゴニアでもアイルランドでも突っ込んで行けばいいのだ。 突っ込んで行って深く堪能すればいい。 そういうのをわかりやすくしてくれたんだから、ケガに感謝してもいいくらいだ。人生は有限なのだから。 そんなことを思いながら近所をてくてくウォーキングしてる、今年の7月です。 #
by kazeture
| 2010-07-12 12:38
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木そういえば 小さい頃、 木 って べつに好きじゃなかったな (きらいでもない。なんともない。興味わかない) うごかないから 面白くないやつだと 思ってた くわがた虫が好きだった うごきまわるくわがた虫 植物より動物! 虫!魚!亀!蟹!ザリガニ!ヤモリ! って感じだった あまりにも夢中だった (採集と飼育に明け暮れていた) 今はそんなことない 木は好きだ うごきまわりはしないけど #
by kazeture
| 2010-07-09 15:02
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