風に連れられ旅をする… 旅人 清火(さやか)の写真+言葉
by kazeture


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荒れ地から

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写真:ヒマラヤ・アンナプルナ山域の地図、入域許可証、山で買った手袋



半年間の旅の中で
想い出に残ってるのは
やっぱりダントツで
ネパールの
ヒマラヤトレッキング2週間ひとり旅
だ。


あれはアホだった。
酔狂だった。
極端な行動だった。



あの行程をひとりで行く人はめったにいない。

その後会った旅人たちにも
「えっ!ひとりで行ったの?」
と、よく驚かれた。

そもそもみんな、ひとりで行けること、行っていいということを知らない。

ガイドやポーター(荷運び人)を雇うのが基本みたいに言われてる。
あるいは誰か連れと行くか。



ぼくはある時
ポカラの食堂にあった情報ノート(行き交う旅人たちが自分の知ってる情報を書き記して行き、情報交換するためのノート)を見て、
ひとりでも行けるということを知った。

知ったら、がぜん、ひとりで行きたくなった。

そしてひとりでヒマラヤに入って行った。




すごい景色だった。

荒涼としていた。
風が吹きすさんでいた。

まさに、desolation…
荒れた、不毛の、荒野…。




急斜面で強風にあおられ
ヨロヨロよろめいた。


山道からはずれて
馬たちの巨大なキャラバンを
やりすごした。


道の上を砂塵を巻き上げながらやってくるやつ
麦畑を揺らして踊るように走るやつ
山腹をゴウゴウ鳴らし続けてるやつ…
風たちの姿が見えた。


長く辛い登り坂を越えて
めざす集落にやっとたどり着いたとき
死ぬほどうれしかった。


山の頂上と太陽が重なって
そこから光線が一すじだけ射す
不思議な光景を見た。


草一本生えない高地に暮らすチベット族のおばさんの
笑顔がきらりと光って
ほれぼれした。


乾燥した空気に肌がカピカピになって
特に唇とその周辺がささくれだって
困った。


やっとたどり着いた聖地のお寺のかわいいチベット尼僧さんに
「ネパリ(ネパール人)にそっくりやん!」と言われ
なぜか喜んだ。


砂嵐に巻き込まれて皮膚にピシピシと砂があたって痛く、
視界は真っ白で口の中ザラザラで帽子を崖下に吹き飛ばされて
へこんだ。


行程の最後の最後に
大きな虹色のまんまるい日輪が出て
びっくりした。



そういうことをすべて
ひとりで経験した。


ばかでかい世界にぽつーんといるちっこい自分を
感じ続けていた。




ぼくはアホで、ものごとのわかりが
わるいかもしれない。

と、いうか
今までの経験だの、知識や情報だのに縛られて
凝り固まってる部分があってもおかしくない。


しかし
あの極端な場所にひとりっきりで行くという
酔狂な行動をすると。

まるで
でかいハンマーで殴られるかのように…

さすがに
なにか
感じた。

わかった
ような気がする。

大切なことがなにか
知った
ような気がする。



それがなんなのか
今ここで言語化はしないけれど

(今後のぼくの在り方からジワジワと
かもしだされていったらいいように思う)

とにかくそれは
ひとりで行かないことには
わからないことだったんだ。




あそこの景色は
あんまりすごかったから
いつでもぼくの心はあの場所へ飛んで行ける。


風が強すぎて
身も心も魂までも投げ出されるかと思ったあの荒れ地。


空気を切り裂いて駆け抜ける風の音が
今もぼくのすぐとなりに聞こえる。




あまりにアホな酔狂な極端なことをすれば、
しんどさもあるけどプレゼントもある。

それはどんな鈍感な者も気づかざるをえない方法で贈られる。

だからぼくはこういうのが好きなのだ…
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by kazeture | 2009-07-31 19:03 | Comments(0)

はなす言葉

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おはよう
おかえり
ありがとう
おやすみ
……


スイスと日本のハーフで3歳まで日本にいた後スイスに行き、10歳まで日本語を習っていたアスカは
とても大切そうに日本語を話した。
いつくしむように日本語を話した。
「日本語が好きで、わすれたくない」と言った。


アスカとはインド・ダラムサラの舞踏スクールで出会った。
彼女の日本語はカタコトながら、だいたいの意思の疎通はできる。
日本語と英語をまぜてぼくらは話した。


アスカはフランス語と英語がペラペラで、頭の中でものを考えるときもフランス語のときと英語のときがあるという。


彼女は18歳のときに家を飛び出し、母国スイスから旅立ち、
7年間世界を旅して回った。

旅先で働いたり、時にスイスに戻って稼いだり、
旅先の路上でディジュリドゥを吹いたりファイアーダンスを踊ったりして大道芸で日銭を稼いだりもしたという。

日本にも来ていて、農家で住み込みで働いたり歩いたりヒッチハイクしたり橋の下で寝たりしながら旅したらしい。


そんな彼女に日本語についてどう思うか聞いてみると、
「英語より、フランス語より、やさしい言葉」
だと感じるという。

うん。そうやな。
ぼくもそう思う。

うすうす、そんな気はしていた。

なんとなく日本語の響きって、やわらかくてやさしいような気がしていた。
だけど日本語しか話せないぼくにはなんの確証もなかった。

でもアスカは実際に英語とフランス語と日本語を話し、世界中をめぐっていろんな言葉を聞いたうえで、そう言っているのだ。

彼女は日本語を話すときに感情をこめてやさしい感じで使う。

子供の頃に使っていた言葉を使うと、気持ちもその頃にもどるのかもしれない。
子供のようなリラックスした表情になっていた。


アスカから発せられる日本語…
おやすみ。
だいじょうぶ。
ありがとう。

などを聞いてるうちに、「なんか日本語ってすごくいいな」と思えてきた。



アスカは言った。
「どうぶつとはなすときに、日本語つかうよ」
と。
え?どうぶつ?
「そう。日本語はaffectionだから。わかる?」
彼女はこのときaffectionという言葉を「愛情や感情をこめられる」というような意味で使ったのだと思う。


たしかに…
日本語は情感たっぷり。気持ちをこめられる。なにかを含みやすい。
言外の気持ちやなんかもこめて届けられる。
そして動物にも通じたり、種を、境界を超えるのか…!


アスカを見ているとそれが自然と納得できた。
動物とも話せそうだ。



彼女はほかにも自動書記で本を書いてる(どっかから言葉がやってくる。自分だけど自分じゃない人から)話や、
自然の中にひとりぽっちでいるときに友達の竜が来てくれる話など、
興味深い話をいろいろしてくれた。



またアスカはオルタナティブ・ライフスタイル、現行のスタイルに取ってかわる次世代のライフスタイルに多大な関心を持っている。

世界各地のいろんな暮らし方を自分もやってみたくて旅をしている、という。

そんなアスカが言う。
「日本のトラディショナル・スタイルの家はとてもいいね。家の中で火をもやす…」
「家の中で火?あ、囲炉裏かぁ」

「家のそばで野菜育てて、それ食べて暮らせる。お金、かからない」
「うん」
「そんなことができるのは日本だけだよ!」
「え?そうなん?スイスではできないの?」
「んー、野菜育てたら、税金が
かかる」

そうか…。

家の中で火をもやすスタイルも、家のそばで育てた野菜を食べて暮らすのも、どこでもできることではないんやな。

日本式スタイルの価値を、逆にアスカに教えてもらった。全世界的な視点で。
ぼくも古い日本のやり方は好きだけど、そこまで重要視してなかった。




…さて、そんなことがあって、
ぼくは急に日本語を見直した。

世界でも有数の、やさしい響きの言葉か…。

大切に話そう。

心をこめれば、言葉は生きる。




また、別の場所で、言葉をないがしろに扱うことの怖さも見ていた。

言葉というのは放ったそのすぐ後から世界にどんどん影響を与えてゆく。自分に戻ってくる。

たかが言葉とあなどっていると後で大変なことになる。

「ほんとうのことを話す」というのは、とりわけ大切。
ほんとうのことを話さないと、その人の生命力は弱る。

ペラペラ早く話さなくてもいいから
とにかくていねいに言葉を発していこうと思う。

自分の言葉の責任、自分の言葉が作った世界の全責任は自分にあることを忘れずに。




奇しくも、ぼくら、日本生まれ。

この日本語を与えられたことに感謝して、
ゆったり やわらいで ていねいに やさしく おもしろく
話そうじゃないか!




じゃあ、

おやすみ~。
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by kazeture | 2009-07-30 20:11 | Comments(0)

巨木のところ

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近所を散歩する。

空はくもり。

まだ梅雨は明けてない。

この空の様子と自分の様子がリンクしているように感じる。

もうべつにしんどくはないのだが、

晴れ空のようなパーッとした気分にはならない。

ラーメンも食べたくならない。

特に何も食べたくならない。

それはぼくが想定していた帰国後の自分の姿とは異なっている。

妙な感じだけど、そうだからそうなんだろう。



その自分の様子と空模様がぴったり重なっているように思う。

雨や風や雲や雷。

それらの音を聞いていると

なにかを連れてくる前触れのような気がする。

ぼくの状態も、次のなにかを連れてくる前触れのような感じだ。

(8月になるといろんなことが変わると予感している)

空がリンクしてくれていると、気が休まる。



雨も好きだ、と思う。

この潤い感をとても新鮮に感じる。

潤いの中をやってくる匂いと音には懐かしさを感じる。

ぼくが住む町の音と匂い。



散歩に出て歩いてみる。

なにかが変である。

違和感がある。

フワフワする。

まだ慣れてない。

慣れようとしてすり合わせ中だが、

まだピントが合わないような皮膚感覚がある。

それならそれでいい。

しばらくはそれを感じよう。



家から歩いて5分くらいの山のふもとに

いつもよく行く巨木がある。

好きな木だ。(写真の木)

その木のところに行って、たたずんでいた。

ここは石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)の鎮守の森の中。
きっと何百年もこのあたりの空気、雰囲気は変わってないんじゃないだろうか。

そのあたりの空気を呼吸しながら、

ボーッとしていた。




☆「写真」を半年ぶりにアップしてみましたよ。
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by kazeture | 2009-07-28 17:46 | Comments(0)

縄文人なら

今から一週間前に日本にたどり着いたんだったなぁ…。

帰ってから一週間、熱で倒れ、ひたすら寝ている。

熱が下がっても、動くとしんどいのでまだ寝ている。



インド・デリーで、あともう少しで帰れると思い、なんとなく気持ちがブレていた時に起こったデジカメ盗難事件。

これにはいまだにダメージを感じている。

盗まれたデジカメの中には写真が1200枚くらい入ったメモリーカードも入っていた。

それを一応CDに焼いてあるので写真がなくなったわけではない。

が、デジカメとメモリーカードがあればどこでも友達に写真を見せることができるし、デジカメとテレビをコードでつなげばすぐにスライドショーもできる。

そういう機会をぼくは失ったことになる。

これからぼくは日本列島をウロチョロして友達に会って行くと思うが、そんなときにデジカメで写真を見せたりしたら話もしやすいが、それができない。

うーん。

保険で、デジカメ代2万は取り返そうと思う。

4万円もの保険をかけて出発したのだから、かえって、ちょうどよい。
なにもなかったら保険かけなくてもよかった…?と思っちゃうかも。

また、ぼくは当初1年という予定で旅立ったが、保険は半年分しかかけて行ってなかった。
それで途中で旅の予定を変更して半年で帰ってきたが、ちょうど保険の期限内に盗難が起こっている…というのも不思議ではある。

2万もどってきたらどうしようか?

またデジカメ買うか、ラーメンを40杯食うか。
はたまたその金で北海道でも行くか…。

うーん。
それにしてもやっぱり
半年間えんえんと泥棒の魔の手から守り続けたデジカメをあの最後の夕闇の一瞬でかすめとられたというのは…
うーん、となるよ…。




「インフルエンザみたいなやつにかかった」と友達にはメールで説明している。

病名はわからない。

でもあの体の痛みは尋常じゃなかったし、ヘロヘロ具合も超一級だったから、ただの風邪ではないだろう。
あんなふうにコントロールを失うのは、めったなことではない。

ぼくの母は病院や病院の薬にあまり触れさせないようにぼくを育てた。

それで今回もふたりで相談してる中で、病院に行くという方向にはならなかったのだ。

母は小さいぼくを育てながらなにかに突き当たるたびに
「こんなとき、縄文人ならどうしたろうか…?」
と自問し、考え、対処したという。

病院もなく医療器具もなかった縄文時代も人は着実に生き永らえてたんだから、今、病院があるからといっても必ずしもそこに行かなくとも生き抜けるはずだ!
という思想である。

そんでとにかく自分で感じたことをもとにして決めていくというのがいつも根底にあった。

おかげでぼくは様々なときにクラスでひとりだけ別の行動を取ったりしていた。

運動会の徒競走に不参加(競争をいやがったため)。
予防接種を受けない。
ひとりだけ長髪。
大雨だったので勝手に自宅待機。など。

そしてぼくはクラスでひとりだろうが校内でひとりだけ別だろうが、気にしない人になった。

むしろ、自分が存在してるのがわかりやすくてよかった。

そんで、その結果、こんな人になりました。

ぼくが縄文人っぽいとしたら、縄文人的に育てられたことも一因。

他人がそうしてるからといって必ずしもそうしません。

必ずしも、病院いきません。

自分で考えます。



ぼくは知っている。

たとえもっとも聡明な、優等生な道が別にあっても、
異端児が存在したっていいということを。

それが全体の場に風穴をあけることがあるということを…。

革命的な母、ありがとう。



そうだ、なにも、もっともかしこい誰にも怒られない道を取る必要はないのだ。

アホでもかまわん。

むしろ八方破れでも、
かえってどこかに届くかもしれない。

おそれずに感じていけ…。




つーわけで、いまだにねてる清火のひとりごとでした。

雷が鳴ってる。季節が変わってゆくよ…
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by kazeture | 2009-07-26 15:05 | Comments(0)

まだねてる

まだねてる



もう今日は活動開始できるかと思ったけど

歩くとフラフラッとする


ラーメン食いに行こうかと思ったけど

やめた


熱は下がったけど

まだねてたほうがいいらしい


こうなったらとことんねとこう




おもうに…

どうも自分で考える以上に旅では疲れてたのかもしれない


旅の行程をうまく立ち行かせるために

つねに一本の緊張の糸が張られている


今まで接したことのない異質なものの前で

ぼくの心、体、スピリットはつねに緊張の色を帯び

ふにゃふにゃではいられなかった




そんでいま

逆に ふにゃふにゃになっている

…というか

ふにゃふにゃにさせられている



自分では制御できない状態に

なっていい場所で

なっている




思えばよく自分を制御しつづけたものだ


あの広大なヒマラヤ宇宙のまんなかを

ひとりで歩き続けて軌道を制御しつづけた




もう いいよ

いまは


ふにゃふにゃになろう
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by kazeture | 2009-07-23 22:05 | Comments(0)

日食と怠惰

2009皆既日食の話はずいぶん前から聞いてたが
なんかピンとこなかった。

ぼくは奄美が大好きだが、そんな人でごった返すときにわざわざ行きたくはなかった。

日食を見たいとは思わなかった。

奄美とかトカラ列島などにつめかけてるらしいが、日食を見たいって、いったいどんな気持ちなんだろうか。

そんな状態だったが、今回の旅で会った旅人たちがバラナシへ、ネパールへ、上海へ、奄美へと日食を見に行く話を聞いているうちに、ぼくもなんとなく無視はできない気分になってきた。

で、調べてみると京都でも八割欠けた太陽が見れるとのことだったので
京都の家に帰って見ようかと思った。

そんで、インドから日本に帰る日を日食の前に設定した。

ぼくが日本に帰る日の前日、沢尻エリカ様も帰国していて、「日食を見るため」だという。
エリカ様と同じ理由で帰国することになった。

が、ぼくはどうにもノリが悪いままだった。
やっぱり、あんまり見たくならない。

昔読んだ本に、アメリカインディアンのメディスンマン・ローリングサンダーが「日食は絶対に見ちゃだめだ」と言ってたのを思い出した。

それからインドの聖者和尚ラジニーシも「ずぇったいに見ちゃあイカン!」 と言ってる。

えらく厳しく禁止しているが、その根拠はよくわからない。

ぼくには判断がつかない。

自分で感じるしかない。
日食がはじまったときにどう感じるか?
もしまがまがしく感じたら見なければいい。
そう思っていた。

当日の今日は曇り。
食の最大という11:06にベランダに出てみたが、太陽がどこにあるかもわからなかったし、空が暗くなってるかすらわからなかった。

テレビでいろいろやってたが、悪天候のため屋久島、悪石島では見れなくて、奄美では観測できたとこもあったみたい?

見たいと思ってなかったので、あまりなんとも思わなかった。
そんな感じでノリの悪いまま、これは終わった。




ところで、旅から帰った直後にバタリと倒れて以来、寝込んでいる。

これは、なかなかいい。

なにもしなくていいというのは、いい。

旅ではいつもなにかしていた。

病気だと、なにもできないので、なにもしないですむ。

病気じゃなかったら、なにもしないでいようと思っても、外出はしなくても家で旅のまとめとか反省とかしはじめたかもしれない。

そういう真面目なこともできない。

ひたすら怠惰だ。

しかも、風呂にも入らず、不潔だ。
でも病気なんだからしかたない。

怠惰でも不潔でもおとがめなし。

いいな~、こりゃ。

いまのぼくにはぴったりだ。

なんにもしたくないし、なんにもしてないことをとがめられたくもない。

そんなぼくにこの病気はぴったり。

神様サンクス!




みんなー、

日食見れたかーーッ!?(ここだけ元気)
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by kazeture | 2009-07-22 14:30 | Comments(0)

終る間際のハプニング

熱も下がり気味なので忘れないうちにちょっと書いておこう。

「終る間際のハプニング」。



18日の日記の冒頭にぼくはこのように書いている。

「インド デリー いま 夕方5時。

7時半にはタクシーに乗り込むことになっている。

それに乗ればおそらくぼくは

空港に着き、搭乗手続きをしてヒコーキに乗り込んで

夜中に発ってニッポンのオーサカへ向かうのだろう。」

…と。

これはぼくのささやかな願望だった。

あと、ふたつ。
タクシーと飛行機。にさえうまく乗れば
もう帰れるのだ…。

しかし。
そうは問屋がおろさなかった。

ぼくのささやかな願望ははげしくくつがえされることになった。



夕闇のパハールガンジ(ニューデリー駅前の安宿街)を荷物を背負って歩いてゆく。

タクシーに向かっている。

土曜の夜で、いつもにも増して人通りは多い。

一枚、デジカメで写真を撮った。雑踏と街の。

右側から少年がぶつかってきた。

ん?なんだ?

オレンジ色のシャツを着た、やせた七歳くらいの少年。

で、その後もう一度ぶつかってきた。同じく右側から。

なんなんだ?ものごいか?ヘンなやつだ…。

ぼくは気にせず歩いていった。


タクシーに乗りこむ。

座席にすわる。

なにげなく、ズボンの右側のポケットをたしかめる。

あれ?

デジカメがない!

さっきの少年!?

盗られた!?

ぜんぜん気づかなかった。

あざやかな手口だ!

ズボンのポケットからデジカメのストラップが出ていた。(いつものように)
それをつかんで抜き取ったのだろう。
ぶつかりながら、ぶつかるという行為で気を散らせて、スリにはまったく気づかせなかった。


デジカメがない…と、さびしい。

この旅のあいだ、ずっと一緒にいたから。(この旅のために買ったもの。計1800枚くらい撮った)

幸いにして、写真はそのほとんどをダラムサラでCDに焼いていた。

でも、相棒がいないとさびしい。

しばらく呆然として空虚感にくちびるをかんでいた。


腹は立たなかった。

手口があざやかすぎた。

気づかせずに盗るのは相当むずかしいはずだ。

おれの負けだ。

デジカメで遊んでくれ。

あるいは売り飛ばしてくれ。

きっとあれは君にとってぼくには想像もできないほどの価値を持つのかもしれない。


あー…

(天を仰ぐ…)



さてそのあと
空港のチェックインカウンターに行ったら、
なんと
「飛行機が出ない」というではないか。
「ええっ!?」
香港に台風がいるため。
(ぼくの乗るエアインディア・デリー→大阪便は香港に立ち寄る)

23:15に出る予定が、明朝の05:15発に変更になったという。

団体大阪おばちゃんズがギャーピーさわいでいる。

これまた、まったく予期してないことだった。

「油断するな、最後まで。思うとおりにゃいかないよ…」
と旅の神様がささやいているようだ。


それで、エアインディアのはからいで最高級ホテル「セントール」に泊まることに。

高級ホテルは面白そうだけど、起床がなんと2時。
きびしいな…。

セントールは最安の部屋でも一泊11000円するという。
インドで11000円というのは、もう「バカ高い」のひとこと。
(ふだんぼくは500円くらいのとこに泊まっている)

きれいなきれいな部屋。いろいろ物色してまわる。

エアコンが異様に快適だ。

1時に眠り、2時に起きる。ねむすぎ。もうろうと行動する。

団体大阪おばちゃんズの動きも一様にのろい。


それからバスで空港へ行き、飛行機に搭乗して06:15くらいに離陸した。

その11時間後に大阪に着いた。

11時間もの飛行機の旅…これはかなりきつかった。

座席が狭い。からだがあまり動かせない。


機内では隣の席のアルメニア系アメリカ人のアラさん(30代男性)としゃべっていた。
アラさんは日本語が話せる。

アラさんは以前香川の善通寺市で英語教師をしていた。
ベジタリアンだという。

「さぬきうどん食べた?」って聞くと、
「はい、毎日食べていました。自分で作っていました。なぜなら、お店のうどんにはかつおだしが使われているからです。昆布だしを取っていました」
ベジタリアンはかつおだしもだめ。

ぼくはかつおだしの味を思い出して、舌なめずりした。


アラさんは咳をしていた。
ぼくはアラさんと密着していたが、
それがウイルス感染につながったのだろうか?
わからない。


香港から日本に近づいてゆくとき、ものすごい夕焼け空になった。

信じがたいほどのオレンジ。

そして反対側の空は蒼の中にサッと刷毛ではいたような藤色の帯。

き、きれいだ…。

でもそれを撮るべきカメラはなく、ただ目に焼き付けた。



こうして、波乱ぶくみに旅は終わっていった。



最後まで感情をかき乱された。

帰ってからも高熱にうなされ、さらにかき乱された。

しかし、こんな旅でもしないと、なかなか「感情をかき乱される」なんてことはない。

乱されてる間は不快でもあるが、それが過ぎ去ると、以前より弾力のある心が生まれている。余裕も生まれる。

あした熱が過ぎ去ったら、何が生まれるだろう。



(*保険に入ってるのでデジカメ代が戻ってくる可能性あり。でもひとりで行動していて盗まれたことをどうやって証明するのか?)
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by kazeture | 2009-07-21 19:29 | Comments(0)

日本帰着→発熱39℃

昨夜日本に帰り着いた

雨、日本のにおいだ!

零時すぎに家に着く

母に挨拶

用意してくれた食事をとり、風呂にはいってねた



今朝起きたら体の節々が痛い
しかも、すごく。

なんなんだ?

そんで激しい下痢。

発熱が始まる。

39℃まであがる。

うんうんうなりながら掛け布団にくるまる。(寒くて)



母いわく、
豚インフルエンザかも、と。

飛行機で感染することが多いという。

そういえば隣の席の人は咳をしてた…



とにかく一週間くらいこもってないといけない。

まぁもとからその予定だった
一週間くらいなにもしないつもりだった



39℃はしんどいな

あー 旅ではずっとなんともなかったのに。



ともあれ、「ただいま」。

ぼくは生きています。
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by kazeture | 2009-07-20 23:04 | Comments(0)

日本へ

インド デリー いま 夕方5時。

7時半にはタクシーに乗り込むことになっている。

それに乗ればおそらくぼくは

空港に着き、搭乗手続きをしてヒコーキに乗り込んで

夜中に発ってニッポンのオーサカへ向かうのだろう。





デリーは暑い が、

バナナラッシーはうまい。

15ルピー。(30円)

また飲みに来たいな。




インド人はなんとなくうさんくさい が、

ぼくが泊まってる宿の親父さんは

なんか信用できる感じがして好きだ。

そういう人が大都会デリーにいるというのは

こころがやすらぐ。

宿のレセプションに立ってるのがどういう人かで、

その町、その場所、その国の印象は

変わってくる。




デリーのパハールガンジ。

旅行者たちの行きかう街。

日本人旅行者もいっぱいいる。

どこかで見かけた人をまた見る。

ネパールで見た人、インドで見た人、

どこかで見たけどどこなのか

思い出せない人。

はるか彼方、遠い昔だったのか。




ダラムサラのことはよく

思い出す…

とても印象的な生活だった。

ぼくの父が舞踏の学校をつくってて

世界各国から学びに来てて

その人たちのまなざしが

なんか印象的だった。

澄んでて、なにかを追い求めていた。

ぼくは彼らが好きだった。

また会いたい、

また会おう、世界のどっかで。





そんでこれから日本の夏にも会いに行こう。

ぼくは日本の夏が大好きなのだ。





さあ最後の食事をしにいこうか。

やっぱりカレーを食べよかな。

それから最後のチケットをポケットに入れて

空港に向かおう。
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by kazeture | 2009-07-18 20:52 | Comments(2)

さよならダラムサラ

ちょうど一ヶ月滞在したダラムサラを昨日離れました。
いまは暑いデリーにいます。

一ヶ月の間にいろんなことがあったなぁ。

父と再会して父の建てた家を見てそこに住んで
そんでたくさんの人に知り合った。

様々な国籍の人や舞踏をやってる人や
旅人やそこで暮らしてる人やいろんな人に出会って
友達がいっぱいできた。

昨日出るときは友達になった人たちが見送ってくれて
「またかならず来いよ!」と。

また かえろう と思う。

みなさん
どうもありがとうございました!


今夜デリーに泊まり、
明日の夜遅くにヒコーキに乗って
19日に大阪に着きます。

半年ぶりのニッポンだ!
ラーメン食べよう。
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by kazeture | 2009-07-17 13:00 | Comments(0)