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Yちゃんの話 後編Yちゃんの話 つづき: 一人暮らしの部屋に戻って過ごすけど、不安でしょうがない。 そんな時、福島の原発が爆発した。 宮城は福島の隣だ。 どうしたらいいのだろう? 家族や友達は「とにかく逃げろ逃げろ」と言う。 私はどうしたらいいんだろう? 阪神大震災の時(1995年)、私は東京にいて、テレビでそれをただ傍観していた。 次にもし私の住む場所で何か起こって、私の番が来たら、私も何かしようと思った。 ボランティアでも何でもして、手伝いに行こう、と。 そして今回、まさに、私の番が来た。 なのに、私は部屋に閉じこもり、何もできない。何もしていない。 家がなくなって困ってる人がたくさんいるというのに、私は屋根の下で怖がってるだけ。 それどころか、ここから逃げ出そうかとすら思っている。 何もできない。 悔しい。 情けない。 そうして私は、地震から一週間後、仙台から東京に逃げ出した。 無力感を感じた…。 それからまた一ヶ月後、自分が勤めていた花火会社が営業を再開するということで、仙台に戻り、勤務を開始した。 そして週末はボランティアに出かけた。 日本中からやってくるボランティア志望者たちの受け付け係をしたり、実際に現場での泥だし作業にも行った。 そうして日々は過ぎていき、だんだん元通りの生活になっていった。 Yちゃんの話、おわり。 僕は聞いていた。 そしてその時Yちゃんが一人ぼっちの部屋で感じていた孤独、怖さを思った。 一人暮らしの若い女性。 一人でいるのは、どんなに不安だったろう。 自分の番がきたと思ったのに何もできずに逃げ出すことは、どんなにむなしかっただろう。 だけど、地震も原発もどうなるかわからない状況の中、そうしないと生きられないかもしれないという、ギリギリの選択だった。 それしか、しようがなかった。 僕はYちゃんに生きていてほしいと思う。 どうしようもなくても、呼吸しててほしい。 役に立てなくても、存在しててほしい。 木の下で、僕はギターを弾いて歌った。 灰色の人ごみも 真っ暗なトンネルも 命果てるまでは進め 君の命は燃えている 泣き顔も笑い顔も 僕の中では 暗い宇宙に浮かぶ かがやける虹 (まちあわせ/清火) 木の間から光が射してきた。 Yちゃんは泣きながら笑った。 行こう、生きよう。 この命果てるまで。
by kazeture
| 2012-06-16 20:34
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