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by kazeture
| 2023-12-12 15:03
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旅の写真を展示します大阪・淡路「旧ずぶ邸」にて 以下、ずぶ邸のみさきさんより: . ずぶぬれ オン・ザ・ロード ~旅の俳句と写真展~ . およそ一年間の日本各地への旅の俳句と写真をならべてお見せし 土産物&土産物語でつくる小さな会を開き 2023年の夏至をおまつりしたいと思います。 . 2023年6月21日(水)~25日(日) 13時~18時 旧ずぶ邸 ギャラリー土間にて https://zubunogakkou.hatenablog.com/ 入場無料 喫茶オン・ザ・ロード開催予定♪ . まったりした俳句(物語):やかまし みさき ぼんやりした写真:岡 清火(おか さやか) *期間中、在廊します #
by kazeture
| 2023-06-19 14:35
| 写真
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遠い場所から最近、僕のブログ「カゼツレ」を読んでいたと、複数の人から言われた。 うれしい。 ひとりは、会ったことのない人なのだが 僕がモロッコのとある街について書いた記事に検索で行き当たり、 読んでくれていたようだ。 すごく遠い場所からその連絡が届いたような気がした。 (*このブログ「カゼツレ」をこうして今書いていますが、書くのは1年8ヶ月ぶりになります) 僕は、その街にいた自分を思い出す。 2015年、春。 スペインの南端から船に乗ってジブラルタル海峡を渡り、 アフリカ大陸モロッコに上陸した。 タンジェという街だ。 初めての大陸、初めての国、初めての街。 そこで僕は、いろんな感情を通り抜けた。 そして少々疲弊し、夕方に宿の部屋に入った。 シャワーを浴び、楽な服を着て、ベッドに寝転ぶ。 アイフォンを手にする。 そしてブログを書く。 写真を選び、言葉を選び、構成を考え、 試行錯誤しながら その日見たもの、その日感じたことを 伝えようとする。 僕は異国の夜にひとりでいて、 だれかに伝えようとしていた。 届けようとしていた。 それしか僕にできることはなかった。 でもそれは僕にとってちいさな明かりのようなものだった。 届けるという行為は。 それが何年かの時を経て、日本の「だれか」に届いた。
僕はその、自分の「だれかに届け!」という気持ちを思い出した。 届くかどうかはわからない、それでもやりつづけていた。 このブログはそんな僕の旅先での気持ちの集積となっている。 自分にとって大事なものだ、ということに気づかされる。 また初心にかえって 文章を書いていこうと思う。 タンジェの宿の部屋の窓からの風景 窓から入ってくる街音を聞きながら ブログを書き続けた 僕はおそらく 旅の中に見え隠れする ちいさな明かりを伝えたくて 書いていたような気がする どんな場所、どんな状況にも 明かりはあるんだということを すくい上げようとしていた んじゃないかと思う インターネットの中でも 言葉によって人と人が そういう明かりを受け渡したり 明かりで照らし合ったりすることは 可能だと信じて これからも ネットの海に言葉を放とう。 ↓当時のブログ記事 「ハロー、タンジェ」2015.03.20. https://kazeture.exblog.jp/21040098/ #
by kazeture
| 2021-01-29 14:33
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あんたはマレー系マレーシアのジョホールバルで出会ったMは僕に 「あんたは、マレー系やね」 と言った。 僕は25歳、Mは21歳だった。 1997年、春。 この時僕は、これからマレー半島を北上しようとしていた。 Mは一人でマレー半島を南下して来ていた。 その、逆方向に向けてすれ違う一瞬、僕らは交差した。 マレーシア南端、シンガポールのすぐ近くの港町ジョホールバルのバスターミナルにいると、向こうからパタパタと女の子が駆けて来て、話しかけてきた。 それがMだった。 兵庫・宝塚出身の、リュックを背負った小柄な旅人。 Mは情報を欲しがっていた。 僕は「地球の歩き方」を見せた。 僕らはバスターミナルの中にあるマレー料理店に入った。 Mは僕に 「いつもそんなに、ボーッとしてんの?」 と、きいた。 「うん」 「なんか、あんたは、マレー系やね」 「え?」 「中華系よりはマレー系やね」 「マレー系ってどういうこと?」 「すべてが反対やん。中華系とマレー系って。マレー系はゆったりのんびりしてるし、中華系はセカセカ、ギャアギャアしてる」 「はあ、そういうことか」 僕はただボーッとたたずんでることが多い。 マレー系と言われて、なんか嬉しかった。 僕もマレー系ののんびりムードは気に入ってた。 マレー半島にもともと住んでたのがマレー系住民で、あとから中国からやって来たのが中華系だ。 (マレーシアの人口比はマレー系6.5割、中華系2.5割、インド系1割で、多民族国家となっている) 今ではマレーシアの中で中華系が経済的な部分を握っていると言われる。 でも、そもそもマレー系の人たちには「受け容れる」性質があった。 だからこそ中華系の人たちはたくさん入って来れたし、のびのびできたし、また共存もできたのだ。 そんなマレー系に僕は似ているとMは言う。 「Mは?」 「うーん。どうやろ。わたしは中間かな。セカセカすることもあるし」 Mはタイとマレーシアが好きで、今日まで一ヶ月半、旅していた。 そしてこれからシンガポールに渡って三ヶ月、英語を勉強しようとしている。 三ヶ月間一人で、苦手な英語を、苦手なシンガポールで学ぶということを決断したのだ。 この目の前の小柄な21歳の女の子は。 「いよいよ来てしまったかと思うと怖いよ」 とMはぽつりと言った。 顔色が優れず、食事が進んでない。 本当に怖がってる。明日からの生活を。 Mは「逃げたくなかった」のだという。 苦手なことから。 アジアの旅が好きで、将来アジアのどこかで旅行や観光に関わる仕事をしたくて、 英語は苦手だけど、学びに来た。 シンガポールも苦手…というか、キライだった。 だけどキライなままではいけないと思った。 自分以外に一人も日本人のいない環境に三ヶ月間自分を放り込み、自分を試す。 そしてこの時、今からバスに乗ってシンガポールに入るという、もうギリギリの刻限だったのだ。 僕は「こいつ、すごいな」と思った。 震えて怖がってるけど、それくらい怖いことに、たった一人で向かって行ってる。 すごい勇気の持ち主だ。 僕は彼女を応援する気持ちを持った。 何か言いたい。 でも何をどう言えばいいのか。 「そうか…」とだけ言って、 ただ一緒にバスの時間までをボーッと過ごした。 ふたりはバスターミナルで、それぞれが出発するバスを待っていた。 行き先は逆。 そして、僕のバスが先に出ることになった。 僕らは路上で別れた。 「元気で頑張ってな」と僕は言った。 「よい旅を」とMは言った。 僕が乗り込むと、バスは動き出した。 Mが頭の上で手を振っている。 その姿はほかのバスに隠れ、見えなくなった。 その時バスが風船を踏み、「パァン!」と大きな音が鳴った。 暴発した祝砲のように。 勇敢な旅人の前途を祝すかのように。 ロータリーを周り、もう一度小さくMが見えた。 あいつはもう前を見つめ、歩き出していた。 あれから22年が経った。 今でもあのちびっこい女の子を「いちばん勇敢なヤツ」として思い出す。 #
by kazeture
| 2019-05-20 13:23
| 1997マレーシア
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